やっとかめ カメラの目

日頃持ち歩いている携帯電話のカメラ、一眼レフカメラで、
写した画像を日記代わりに載せています

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■2006年08月25日(金)  車が帰ってきた
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車の修理がおわり戻ってきた。
見た目は前より綺麗になったが、、、、。

■2006年08月15日(火)  倉敷散策
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江戸時代、幕府直轄地である「天領」として栄えた倉敷。

その中心である倉敷川畔には、商人の町家や白壁の土蔵が立ち並び、柳並木が川面

に揺れていました。

小さな路地裏でも当時の建物が修復・再生され、ギャラリーや喫茶店、土産物店な

どの個性的な店舗として利用されていました。

■2006年08月14日(月)10:55  金比羅さん
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初めは、大物主神を祀(まつ)り、往古は琴平神社と称した。

中古、本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)の影響を受け、金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)と改称し、永万元年(1165)に相殿に崇徳天皇を合祀する。

その後、明治元年(1868)に神仏混淆(しんぶつこんこう)が廃止されて元の神社に復(かえ)り、同年7月に宮号を仰せられて、金刀比羅宮と改称し、現在に至っています。

上記の説明をガイドの方に聞きました。



このこんぴらさんの提灯のマークですがてっきり「丸に金」という字だと思っていたら
提灯の文字は「人が長く平和に生きる」という意味の人・長・平の3文字を組み合わせたマークなのだそうです

■2006年08月13日(日)  内子の町並み
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内子の町並みを散策

内子町は、江戸後期から明治時代にかけて、和紙と木蝋で栄えた町。
その当時の面影を残す八日市・護国地区の町並みは、今も美しい佇まいを見せ、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。

ここが私の故郷です。

■2006年08月12日(土)  瀬戸大橋
IMGP0008.jpg 650×432 113K父の初盆。
故郷の内子への途中。
瀬戸大橋を渡る。
明治22年 大久保昧ナ珪腓・ジ預膓恐誘兇鯆鷯ァ

優美な多島美を誇る瀬戸内海をまたぎ、本州と四国を結ぶ長大橋。
3つの吊橋と2つの斜張橋と1つのトラス橋があり、この6つの長大橋と これらをつなぐ高架橋を総称して 瀬 戸 大 橋 と呼ぶとのこと、、、。

■2006年08月04日(金)  もうすぐ取り入れ
梅雨もあけ、夏空に、、、。
暑い日が続き、稲の生育も順調。
まもなく早場米のとりいれがはじまる!
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■2006年08月01日(火)  変わった西瓜
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中身の色が黄色いのは知ってるが、形が違うのは見たことが無い。
人工的なのか、自然なのか、、、。
近所のスパーマーケットで四角い西瓜を発見した!

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