淡墨桜
この地に流罪となった奈良朝の皇子が、根尾神所の地を南都に模して春日神社を修造し、 この桜を墓標として植えたという(村社『春日神社縁起』)。 この子孫にあたるのが南北朝時代、宮方として活躍した根尾入道といいます。 この説は古い時代から語られ、今日まで伝えられてきています
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